インスタントコーヒーをマグカップの底にからから落としながら、思い出す光景がある。
新卒で入社した会社でのことだった。あの頃は、ちゃんとインスタントコーヒーをスプーンで測って淹れていた。普通の時はスプーンに三杯。残業が続いている時はその倍くらい。同期と並んでおしゃべりしながら淹れていた。
大学生の頃は珈琲という飲み物は牛乳と砂糖を入れないと飲めないと思い込んでいたから、どろどろに濃いコーヒーを飲んで残業しているんだという事実がなんだか誇らしかった。社会人やってるぞーというワクワク感があった。
あの頃の私は可愛げがあったな、と思い出しながらついニヤニヤしてしまう。前向きで、希望に溢れていた。成長を心から望んでいた。仕事が楽しかった。
あれから3回も転職をして、あの頃夢に思い描いていたようなスキルや実績を身につけている。最初の転職は、もっとスキルアップしたいという前向きな動機で決めた。圧倒的に成長できたし、その頃の経験が土台になって今も生きている。
でも、苦い経験もあった。追い詰められて、会議中に溢れた涙がどうしても止まらなくて、会議室に戻れなかったことがあった。死にたいと何度も呟いて、パートナーを心配させた。残業が多すぎて家のことができず、別れる一歩手前までいったこともあった。歩んできたキャリアの中で、営業成績トップの座を何度か得たけれど、自分がその仕事に向いているとは一向に思えない。辞めたくなったり、それでもやっぱりこの仕事が好きだと思い直したりを何度も繰り返している。ぶつかりあって、人を傷つけたり、傷つけられたりしている。
今では、インスタントコーヒーはスプーンで測ったりしない。起きて、支度をして、あと5分で仕事か、しんどいな、早く土日こないかなと思いながら、コーヒーを詰めてある瓶を傾けて直接マグカップに入れる。完全に目分量だけど薄すぎることはほとんどない。あの頃のスプーン六杯分はこれくらいかな、と思いながら淹れる。焙煎所で挽いてもらったコーヒーの粉を、ハンドドリップで飲むという贅沢も知った。そしてそれも面倒になって自動抽出機を入手した。時間があるときは、お気に入りの焙煎所の高い珈琲を淹れる。すっかり大人になったものだ。
仕事を始めたばかりの頃の、初々しさやキラキラした目は、失ってしまったのかもしれない。
でも、そのかわりに経験値と、たくさんの選択肢を手に入れた。
今日も私は、インスタントコーヒーと焙煎所で買ってきた美味しいコーヒーのどちらにするかを迷い、どちらにも飽きた時にはコンビニコーヒーを買いに行ったり近所のカフェに行ったりする。同じように、この仕事をこのまま続けるのか、辞めて新天地を探すか、そうするとしたらどんな会社を選ぶのか、それとも決心してフリーランスになるのかと考たりもする。そんな生活は、苦いけど美味しい珈琲みたいに、つらいけど、案外楽しい。
#私のコーヒー時間