まゆびらき日記

虚実ないまぜの日記と小説。

はずれものとして生きる

 何代さかのぼっても、おそらく農家である。

 実家は兼業農家をしている。母方も父方も、祖父母は農家で祖父母も農家の出だ。
 実家の近所には「本家」とされる家があるが、そこも農家である。本家といっても特別広いわけでもお金持ちなわけでもない。敬われてもいない。所詮は小作農の家系だ。

 戯れに我が家の家系図を書いていて、気づいたことがあった。何代遡っても農家ではあるのだが、親戚たちは意外といろんな職業についている。

 そもそも母方の祖父母からして、どちらも農家の出ではあるが農作業をやって暮らしを立ててはいなかった。母方の祖父は長男ではない。だから家を継がずに家の近くの工場に勤めていた。母方の祖母は専業主婦だが、実家は農家であったという。早くに亡くなってしまった母の代わりに、幼い弟たちの世話をしながら畑に出ていたと聞いたことがある。

 農家は基本的に長男が継ぐ。子供のうちは皆、農業を手伝わされる。しかし、子供が大きくなるたびに田畑を分け与えていたらどんどん土地が小さくなっていってしまう。だから長男以外の息子は、美容師、雑貨店、息子のいない農家の婿養子、会社員と、様々な職業についている。娘たちは、様々な家に嫁いでいき、大抵は専業主婦をしている。
 曽祖父は農家の長男ではあったが、一時期、議員の仕事もしていたと聞く。地域の人からも慕われていたが、変わり者の祖父に地盤を引き継ぎたったの一期でそれを無くした。祖父は孫の私から見ても粗野で、嫌なやつだった。

 もう一つ気づいたことがあった。
 農家は基本的に兄弟が多い。そのせいだろうか、一つの世代で一人くらいは消息がわからなくなったり、縁が切れたりする人が出てくる。

 事業が失敗して借金を作って夜逃げした人。実の親兄弟と折り合いが悪いく、若い頃に家を出て葬式にしか戻ってこない人。結婚したと聞いたがそれ以降顔を見せなくなってしまった人。
 おそらく祖父母やそれより上の代にも、そういうタイプの人はそれぞれにいる。その子供たちの中にも。

 そして私も、そういう『はずれもの』の一人なのだ、おそらく。

 昔から、人と話すことが得意ではなく、親戚や従姉妹たちとは仲がよくはなかった。優等生だったから、本ばかり読んで人の輪に入らず静かにしていても、なんとなく許されていた。
 私はぎりぎりの境界線上で、ちょっと変わった子として生きてきた。しかし、ついに自分から、その輪の見えるところから、いなくなろうとしている。

 数年前、長く女性のパートナーと暮らしていることを告白して以来、母とうまくいっていない。彼女は私の告白を聞いた瞬間、「相続権を放棄しろ」と言った。全く想定外の言葉で、傷つきながらも思わず笑ってしまったのを覚えている。つまりそれって、「もうお前は私の子じゃない」ってことだ。
 続く言葉もなかなか酷かった。
 言われた側の気持ちを考えないお前は身勝手だ。誰にもそのことを言わず、ひっそりと生きなさい。結婚式だなんてやめて気持ち悪い。パートナーシップ制度とやらも使わないで、役所の人にバレるから。私はあなたのことを独身だと思うことにする。
 そんなことを言った口で、それでも定期的に帰ってこいと言う。私が急に帰らなくなると、親戚たちにどうしたのかと勘繰られるからだろう。一体どちらが身勝手なのだろうか。

 そんなことがあってから数年、嫌々ながら実家にときどきは顔を見せていたが、今年は気持ちが「帰らない」方に傾きつつある。年末から帰らず、もう少しで半年が経とうとするタイミングで、まだ一度も帰省していない。

 絶対忘れないようにと、衝撃でよくわからないままに書き残した当時の言葉の数々を時々読み返す。衝撃自体はもうなくなっているけれど、今更になって言われたことの理不尽さが胸に迫ってきて、帰ってあの人と顔を合わせて、なんでもない風に会話をするのはどうしても嫌だと思ってしまう。

 ところで、私は、東京での暮らしが長いけれど、農家である生家が嫌いではない。

 どこにいても土の匂いのするあの家。春には裏山でたけのこが取れ、秋には栗山に栗がなる。庭には大きなゆずの木がある。今は自分の家で作物を作ってはいないが、子供のころはブロッコリーと米を作って農協に売っていた。時期になると、家中総出で作物を仕分けしたり、箱や袋に詰めていた。父の操るコンバインに乗って、米の収穫を見守ったこともあった。
 懐かしい思い出だ。
 農家の、無駄に広い家も嫌いではなかった。暗くじめっとした家だったが、襖を取り払うと一つの大きな畳の間ができる。お盆や年末年始には、庭に面した畳の部屋が広間になって、入れ替わり立ち替わり色んな人が来た。葬式も家でやった。曽祖父、曽祖母が亡くなった時、家にお坊さんを招いて、おはぎとうどんとご馳走を作って、家でお通夜、お葬式をやった。家の女の人たちはきっと、大変だったと思うけれど、子供にはまるでお祭りのようだった。
 祖父母の代には、葬儀場で葬式をやるようになった。家は、土間のある家から、綺麗な二世帯住宅に変わった。それでも周囲の景色は変わらない。
 目の間には田んぼがあって、防砂林があって、大きな空が見える。ビルなんか一つもなくて、風がどこまでも通り抜けてゆく。夏にはぴったり窓を閉めていても蛙の声がうるさかった。そういえば昔、家に友人を招いた時、明かりがほとんどなくて夜になると先の見えない真っ暗闇になることに驚かれたっけ。
 お正月に幼馴染と除夜の鐘をつきに行って、帰り道に一人でそんな闇の立ち込めた坂を駆け降りて。怖かったから空を見上げたら満天の……とは言い難いけれど、それなりに綺麗な星空が見えた。

 そんなふるさとを、私は失うのだ。

 それでも、私は今のパートナーとの暮らしが好きだ。彼女と暮らし始めてから、息がしやくすなった。のびのびと、自由に、私らしくいられるようになった。

どこに行っても電灯で明るいこの街で彼女と暮らすことを、私は選んだ。ふたりきりの、自分で選んだ家族。ふるさとを失ってでも、ここにいたい。だから綺麗な思い出はそっと胸にしまって、はずれものとして、私は私の幸せを、生きていく。

はずれものとして生きていくのも、案外すがすがしいものだ。

#これからの家族のかたち