まゆびらき日記

虚実ないまぜの日記と小説。

自分で自分を自由にする

初めて自分で「こういう色にしてみたいんですけど」と言って髪を染めた。とても気に入っていて髪を乾かしたり梳かしたりするたびにニヤニヤしてしまう。

髪色を気にするようになったのは、応援するアイドルができてからだ。私が応援しているハロプロの子たちは二十歳前後になって、デビューから少し時間が立つと髪色でも個性を表現し始める。ミルクティー色、赤っぽい茶色、インナーカラー、コンサートの時だけのメッシュ。それらを見慣れるまで、私は、茶髪は茶髪だと思っていた。美容室でアッシュが人気、なんて聞いてもよくわからず、ただただ困惑した。いつも美容師さんのお勧めを聞いて、適当に選んでいた。何年か前から、彼女らの髪色の微妙な違いに気付くようになった。それでも、「あの子たちが髪色で遊べるのはあんなに可愛いからだ」と思っていた。逆にいうと、自分は可愛くも綺麗でもないから、そういうことをしてはいけないと、思い込んでいた。自意識過剰で、恥ずかしい行為だと。(よくよく考えてみれば他人に対してはそんなことを思わない。自分に対してだけ、そう思う。)

それでも、ふと思い立って赤っぽい髪色にする勇気がわいたのは、リモートワークがメインの働き方になったからだ。一応営業職だし、というのも自分の思い込みを補強する一つの理由だった。けれど、WEBカメラ越しならば髪色の違いなんてほとんどわからない。だったら試しに、彼女たちみたいにしてみたい、と、思ってしまった。

母親が、なぜか髪にはこだわりのある人だった。いや、コンプレックス、と言い換えたほうがいいかもしれない。彼女の考えでは、女の子は髪が長いほうがいいし真っ直ぐなほうがいいのだった。

私がカミングアウトをした日、彼女は「男に興味が持てなくなったから、そんなふうに髪も構わなくなったんでしょう。長くてまっすぐな髪の時の方がよかった」と言った。当時、私は縮毛矯正をかけずに、本来の自分の髪の癖を生かして、なんとか今風の素敵な感じに見えないかな、ということを試行錯誤していた。周りの人にも、それを褒められて、今が一番自分らしいと思っていた。客観的にみて、髪をまっすぐにして伸ばしていた時の私はもさっとして、田舎っぽい感じだったと思う。それがわかっていたから、きょとんとしてしまった。そして、娘が三十を越してもまだ、見た目も人生も縛ろうとする母の態度に傷つきながらも、面白くなってつい笑ってしまった。

癖毛を生かした髪型は、それ以来、母親の呪縛から逃れた自分らしい自分、の象徴になった。

髪を赤っぽい茶色に染めて、またひとつ自由になれた気がした。気恥ずかしさもなくはないけれど、自分の意思で、いろんな、気分を変えられる髪型や髪色をためしてみて、それで結果的に毎日機嫌良く過ごせるならばそれでいい。パートナーも、この髪を見て「銀英伝キルヒアイスみたい」と喜んでくれたし。(キルヒアイスほど赤くないと思うけど。)

美人じゃないから、可愛くないから。そんなふうに自分を卑下して、なにも行動しないよりも、どんなことでも試してみるほうがいい。これからも、すこしずつ、自分で自分を、好きになっていきたい。