まゆびらき日記

虚実ないまぜの日記と小説。

読むことと書くこと。

小さい頃は本ばかり読んでいる子供だった。ということをふと思い出した。よくよく考えれば小さい頃だけではない。大学生くらいまではずっとそうだった。

 生まれた土地は東京に出てくるまで二時間弱くらいの微妙な場所にあった。まあ田舎と言って差し支えない場所だったと思う。夜になると街灯の明かりが道沿いにぽつぽつと灯る以外、全てが闇に飲み込まれてしまうようなところだった。家業は農家で少しの田畑や山を所有していた。夏の夜に網戸にしておくと家の前の田圃から、蛙の声がうるさいほど聞こえてきた。いきものたちのざわめきと湿り気を帯びた風が網戸を通して部屋の中に入りカーテンを揺らす。その横で夢中になって本を読んでいた。

 しあわせだった。

 ものがたりの中に入り込んでしまえば一切が気にならなかった。私はものがたりの中で登場人物と共に謎を追い、淡い恋心を抱き、陰惨な事件を目のあたりにしてやりきれない気持ちになった。文章をただただ追うということも好きだった。一度読み切ってからお気に入りの美しい文章を何度も何度も読み返した。

 親に「本ばかり読んでいないで人とコミュニケーションを取りなさい」と怒られてもずっと本を読んでいた。その頃私にはほとんど友達がいなくて、教室の隅で一人で本を読んでいることが多かった。昼休みも放課後も、一人で図書館に入り浸っていた。寂しいと思うこともつまらないと思うことも、たまにはあった。でも時々は友達と一緒に勉強をしたりおしゃべりをして過ごすこともあったから、本を読む時間がたとえば七割くらいだったとしても、大きな問題とは感じていなかった。それよりも「本が今の自分を作ってくれた」と感じていた。だからそんな風に言われることがとても嫌だった。

 親との断絶は今でもある。私は実家に帰ると折り合いのよくない両親と何を話したらいいのかわからないので本を読んでいることが多い。そうするとまた親に嫌味を言われたりする。「本、読み出すと止まらなくなっちゃうね」なんていう風に。知るか。私にコミュニケーションを促すわりにお前らだって私とうまくコミュニケーションを取ろうとしないじゃないか。わかり合おうとしないじゃないか。進路や性的指向や、いくつかの事柄で私と考え方があわなかったからって、その話題を避けて何も話さなくなったのはそっちじゃないか。私をこんな風に育てたのは、あなたたちだ。本のせいじゃない。

 少し話がずれた。「本が今の自分を作ってくれた」という気持ちは今も変わらない。今改めて、過去に夢中になって本を読んだ記憶を辿ると、やはりこれこそが私のルーツだ、と思ったりもする。秘密の花園、アルセーヌ・ルパン、シャーロック・ホームズから始まり、魔術師オーフェンにはまってライトノベルの味を知り、青春時代に京極夏彦伊坂幸太郎江國香織恩田陸津原泰水森見登美彦の著作を読みあさり、レイ・ブラッドベリ、ギブスンで海外SFを囓った。性的指向に悩んでいた頃は上野千鶴子信田さよ子の著作やレズビアン作家の小説にドッグイヤーをし、鉛筆で線を引きながら読んだ。そんな中で、「自分も書いてみたい」という想いが芽生えた。すこしだけだけれど、書き始めた。

 しばらく挫折をして、書くことをやめようと考えたりもした。最近も忙しさにかまけて書くことから離れようとしていた。でも今、「こうあったらいいな」という未来を描こうとしてみても、やっぱり「書く」ということがどうしても出てきてしまう。まだ、「書く」ことに執着している。仕方ないのかもしれない。だって私のルーツなのだから。
 転職をして少し余裕ができて、時間を作れるようになってきた。だからまた少しずつ、「書く」ことに向き合っていけたらと思う。