まゆびらき日記

虚実ないまぜの日記と小説。

小説

【小説】暁の陽に溶ける(狐狸夜話①)

ジリリとブザーが鳴り、サヤは食器洗いの手をを止めた。慣れないうちはこれが鳴るたびに驚いていたが、今は嫌いではない。一般的な日本の家庭の、ぴんぽーんという間の抜けた呼び出し音よりも緊張感があっていい。 家事代行会社のロゴが白く胸に染め抜かれた…

【小説】あなたの道連れ

「人魚っていると思う?」と先輩は言った。 私はお猪口を挟んでいる先輩の白魚のような指の美しさに見惚れていたから、一瞬返事が遅れた。「先輩がいるって言うなら、いると思う」 そう答えると先輩は楽しげに笑った。その綺麗な笑顔にぼうっとなりながら、…

【小説】あじさい荘の怪異(翻案 浅茅が宿)

霧雨の方が濡れるといつか宮奈が言った。彼女は雨が嫌いだった。どんなに弱い雨の日でも、必ず傘をさして歩いたし、本降りの日はしょっちゅう寝込んだ。雨が降ると、窓に落ちる水音を聴きながら、彼女はいかにもしんどそうに布団の中で丸まって、いつまでも…

短編小説『運命の女』

その顔を見た途端、私は唐突に思い出した。 運命の女だ。 勢いよく地面を蹴って駆け出す。「え、ちょっと! どこ行くの!」 友人の戸惑う声が聞こえた気がしたがすぐに風の音にかき消された。全速力で走って走って、本校舎の敷地を出て、道路を超えて、柵を…

短編小説『茶筒の底』

おばあちゃんの茶筒には、女の子が住んでいる。 見せてもらったのは一度だけだったけれど、鮮明に記憶に焼き付いていた。 深い茶色に、藤の花が垂れ落ちる図柄の茶筒だった。おばあちゃんちの居間の飾り棚に鎮座するそれは、ガラス扉の内側の一番目立つとこ…

短編小説:山辺さん

いらんと言ったのに母に持たされたのだと仏頂面でフルーツ籠を差し出してきた吉岡真帆を前に、私はひとしきり笑った。退院祝いにフルーツ籠だなんて昭和かよ、と。私のお見舞いに行くと前日に話したら、近くに住む母親が朝七時に訪ねてきてフルーツ籠を置い…

短編小説:用水路の守護霊

恋人が死んだ。ちょうど一年前の、夏の日だった。 格子の向こうでは一周忌の法要が始まっている。蝉の声と読経の声が重なる。どうやら近くの木にとまっているらしい。 首筋を汗が滑り落ちる感触があった。格子の向こうには黒い背中の群れが神妙に頭を垂れて…

パッタイと自由(短編小説)

いつも店でばかり食べていたパッタイが思いのほか楽に作れることに驚いた。なにせフライパン一つで完結してしまう。 少なめのお湯を沸騰させて麺を入れる。水がほとんどなくなった頃に海老を投入する。炒めるうちに海老はじわじわと桜色に染まっていく。ある…

短編小説:金木犀と恋

発車ぎりぎりに飛び込んだ電車は、一時間近くもその揺れに身を任せていれば多くの乗客をそれぞれの住む街に下ろし、ただ、闇の中を進むだけの箱になった。自分もその「乗客」のうちのひとりだという印象は薄い。それはそうだ。あの人たちにはみんな目的地が…

砂の楼閣

指を差し込んで勢いをつけて跳ねのけ、間髪いれずに逆の手を差し込みまた掻く。左右交互に、リズムをつけて。砂浜にできたささやかなくぼみは、ある程度深さができると壁面が耐え切れず落ちてくる。また最初から掻き出し始める。より深いところまで掘れたと…