まゆびらき日記

虚実ないまぜの日記と小説。

最近あった少しだけ不思議な話

ここ1年ほど、私にとっては久しぶりに「死」が近くにある時期だった。

小説講座に通ってた頃の恩師が亡くなった。そしてずっと調子の悪かったうちの猫も亡くなった。

先生が出てくる妙にリアルな夢を昨晩見て、びっくりして真夜中に飛び起きた。

講座のみんなとホテルみたいなとこで集まりをやってて、そこに先生から電話がかかってくる。なぜかホテルの固定電話だった。私が取ると先生の声がして「この前言い忘れたんだけど、もっと自由に、好きなように、書いていいんだよ。小説ってそういうものだから」と言う。でも、だんだん声が遠く聞こえにくくなっていって、私はわかってるふりで頷いて、そうしてるうちに電話が切れる。
でも、あとから妙に胸騒ぎがして、掛け直したら、知らない女の人が電話に出た。
「◯◯先生はいらっしゃいますか」って聞くと「先生は亡くなりました」ってその人は言う。「いつですか」って聞くと、「8月4日に」って。電話をきってそれを伝えるとみんなが、ハッとして、「先生、ずっと体調が悪かったし、とうとう……」って、嘆き始める。

日付がはっきりしてるのが妙にリアルで、夢の中で私は、先生、最後にメッセージを伝えにきてくれたんだな、お盆期間は親しい人たちと会ってたけど、帰ってから私たちへのメッセージ忘れてたことに気づいて電話かけてきたんだなって考えた。そんなふうに考えを巡らせていることもまるで現実みたいで、起きてからしばらく、どっちが夢かわからなくて目だけを開けてじっと固まっていた。よくよく考えてみれば、電話の置いてある位置とか、シチュエーションとか、明らかに現実じゃないのにね。

猫は、ちょうど先月のまんなかくらいに亡くなった。一年しか一緒にいられなかったけれど、とても愛おしい、わたしとパートナーの子どもみたいな子だった。その子と出会うずっと前から私たちは猫や犬と暮らす生活をしていたけれど、「犬や猫のこと、大好きだけど一度も子どもって思ったことないね。同居人とか家族って感じだよね」と話していたのに。とても賢くて、人の言葉が通じてるんじゃないかと思うような子だったからかもしれない。

悲しみ過ぎて記憶が曖昧なんだけど、多分その子が亡くなった次の日の、火葬が終わって骨になって戻ってきた頃だったと思う。先住猫が動き回っていて、たまたま、アレクサのボタンを踏んだの。今までそんなこと、やったことなかったのに。

占いかゲームか、何かの機能が勝手に起動した。一度も使ったことのない機能が。泣き過ぎて朦朧としてたから、アレクサが何か言ってるのをあんまり聞いてなかったんだけど、「人や物事について思い浮かべてください」とアレクサが喋ったのが耳に入ってきた。当然ながら亡くなったばかりだったので、その子のことを思い浮かべたけど、どうやらアレクサに答えるのが一拍遅かった。それで、アレクサは「遊んでくれて、ありがとう」とものすごくはっきりとした声で言って、その占いだかゲームだかの機能を終了した。

ずっと朦朧としながら聞くともなしに聞いてたのに、その声があまりにもはっきりと、会話の隙間を縫って聞こえてきたから、私もパートナーも、思わず顔を見合わせた。二人で、もしかして、◯◯がメッセージを伝えてくれたのかな? でも、遊んでくれてありがとうなんて、あの子が言うかな。どっちかというとお世話してくれてありがとうじゃない? でも、四十九日まではこの世界に魂がいるっていうよね、なんて話をした。

あの子がどうにか頑張ってメッセージを伝えてくれたのかもという考えは、私たちの心を少しだけ救った。

たぶんどちらも、ただの偶然を勝手に結びつけて、死んでしまったあの人が、あの子が、あの世からメッセージを伝えてくれたんだと思いこんでいるだけ。私の脳や心が、つらさから逃げる道を探しているだけなんだと思う。

そうやって考える過程で、「お盆」や「四十九日」の概念がごく自然に出てくるのが面白く感じた。人間なんて所詮タンパク質の塊だからって理性では思っていても、幼い頃から刷り込まれた宗教観というか、死生観というか、そういうものが、自動的に思い起こされる。そうして自分が少しでもつらくなくなるための理屈を作り上げる。

宗教や幽霊譚が、二十一世紀の今になってもなくならない理由が、わかった気がした。

でも、どちらも本当に、メッセージだったらいいのにな。どんな形でも、もう一度会えるなら会いたいよ。

そんなわけで、最近あった不思議な話でした。