まゆびらき日記

虚実ないまぜの日記と小説。

実家に帰らない夏に思い出す、うどんとぼたもち

昨年末に「帰省したくないよ〜〜〜」とごねていたら、弟が「姉ちゃんもう帰らなくて良いよ。俺が適当にやっとくからさ」と言ってくれたので、ご厚意に甘えまくって今年のお盆は帰省していない。あまりにも快適。パートナーと猫たちと一緒に好き放題している。

カミングアウトをしてから3年が経つ。あんなにひどいことを言ったのと同じ口で「でもこれからも普通に帰ってきてよ」と言う母の言葉に従って、いやいやながら盆暮正月は実家に帰っていた自分の健気さに涙が出る。

あのひとは本当に嫌な人だから、社会人になって私が実家を出た直後、私に懐いていた猫に対して「お前は見捨てられたのよ」と言い聞かせていたらしい。だから私が年に一度でも帰らないとまた、冷たい女だなんだと隠れて言うのだろうということが容易に想像がついた。

でも、可愛がっていたあのこは昨年死んでしまった。火葬場で骨になるまで見届けた。だからもう、私が実家に積極的に帰る理由はない。

3年経った今になって私が実家に寄り付かないという選択をした理由なんて、あのひとには想像もつかないに違いない。もしかしたらカミングアウトされたこと自体、忘れているかも。でも私は自分の根幹を否定されたことを3年経っても忘れていない。しつこいと思われようが、なんだろうが、今年もきっと来年も、自分の気持ちを大切にする。

そんな、決して良好ではない関係の我が家だけれど、故郷を懐かしむ気持ちが全くないわけじゃない。

うちではお盆はいつも、鶏肉とネギの入ったうどんと、あんこときな粉のぼたもちを作る。この組み合わせはお盆だけではなくお彼岸もお正月も、お葬式や四十九日などにも繰り返される。何年も何年も、この組み合わせを食べ続けた。

私は母の作るぼたもちが好きだ。父方の祖母は料理が上手くなくてもち米が生煮えだったりしたこともある。でも母のぼたもちはいつもちょうどよく炊けていて、あんこは甘すぎない。きなこのぼたもちよりも、ほのかに甘いあんこのぼたもちに、砂糖と混ぜたきなこを時々つけて味変する方が好きだ。

うちは農家だから、昔は焼酎のペットボトルいっぱいに小豆が入ったものがいくつかキッチンにあって、豆からあんこを煮た。もち米も自分の家で作ったものだった。今は農家をやめてしまったから材料は買ったりもらったりしているようだけれど、製法は変わらない。

ああ、あのぼたもちのレシピ、習っておけばよかったな。

今私が、母の味を受け継いで作れるものはうどんの汁くらいだ。出汁を入れて、大きめに切った白葱と鶏肉を入れる。あくを丁寧にとって、ちょっと多すぎるかなと思うくらいの醤油を入れる。なんともシンプルだけど、これが美味しい。たまに鶏肉の代わりに豚バラを入れる。豚の油が少し汁に浮かんで、最後まで飲みたくなる美味しさになる。

うどん自体も本当は自宅で作っていたけれど、これも製法がわからない。父や祖母がうどんを打つとき、昔ながらのうどん打ち器をぐるぐる回す役目を幼い頃はやらせてもらっていた。でも、全体としてどうやって作るのかは知らない。

だから自分で作る場合にはうどんは買ってくることになるけれど、汁が同じだからそれなりに思い出の味に近くはなる。

食べ物の記憶って、なくならない。どうしても懐かしくなってしまう時がある。簡単に切り捨てられない血縁の家族との関係を象徴しているみたいだ。

でも、私は自分の今の人生も譲れない。だから、時々懐かしい味のうどんを作りながらも、実家にはしばらく帰らない。

そうだ。母とはもう距離を置くことにしたけれど、なんとか細い糸の繋がっている祖母が元気なうちに、ぼたもちとうどんを習いに行ってみよう。

そうやってなんとかやり過ごしているうちに、母との関係をいつか冷静に見られる日が来るといい。

(探したけどうどんとぼたもちの写真一枚もなかったので味と香りは想像にお任せします)